「この客先でそのまま正社員になれますか?」
Heydayの篠田がエンジニアから受ける質問の中で、この問いは月に5〜6件ある。累計2,400件以上の面談同席経験の中で、正社員登用が実現したケースも見てきたし、「実現しそうだった」のに途中でご破算になったケースも山ほど見てきた。
この記事では、SES経営者・代表の小川が「なぜSES会社は客先への正社員登用を渋るのか」という構造的な問題から解説し、実現するケースとしないケースを篠田の現場経験ベースで整理する。
「客先で正社員になりたい」と思っている人は最後まで読んでほしい。希望を砕くつもりはないが、現実を知った上で動かないと、あなたが損をする。
SES客先への正社員登用、実現率はどのくらいか
まず数字から話す。
業界では「客先への直接雇用・正社員登用の実現率は年間2〜3%」という数字が出回っている。リツアン社が公開しているデータによれば、毎年約20名のエンジニアが客先の正社員になり、これは全体の約2.5〜3%に相当する。
Heydayで把握している範囲(2023〜2025年・累計稼働エンジニア数ベース)では、「客先から正社員登用を打診された」事例は年間で全体の約3〜5%。そのうち実際に移籍が成立したのは半数以下だ。打診されても成立しないケースが多い理由は後述する。
この数字をどう読むか。「100人に3〜5人」と聞くと少なく感じるかもしれないが、裏返すと「打診自体が発生する環境に入れれば、現実的な選択肢になる」ということでもある。
ポイントは「実現するかどうか」ではなく、「どういう条件が揃うと打診が発生し、どういう条件が揃うと成立するか」を知ることだ。
SES会社が正社員登用に反対する「構造的理由」
まず、この問題の本質から話す。多くのエンジニアが見落としているのは、正社員登用は「客先企業とエンジニアの合意」だけでは成立しないという事実だ。そこにはもう1人のプレイヤーがいる。SES会社だ。
SES会社のビジネスモデルを理解する
SES会社にとって、エンジニアが客先に移籍するということは何を意味するか。
SES会社は「エンジニアの稼働時間に対して客先から報酬をもらう」ビジネスモデルで動いている。月単価80万円のエンジニアが稼働していれば、マージンとして月10〜25万円程度の利益がSES会社に入る。これが年間で120〜300万円になる。
そのエンジニアが客先に移籍した瞬間、この収益源が消える。しかも採用・育成コストは回収済みとは言えない場合も多い。
小川代表のコメント:
SES会社が正社員登用を渋る理由は「エンジニアをモノとして見ているから」ではない。ビジネスモデルの構造上、移籍はそのまま売上の消失を意味する。誠実なSES会社でも、この問題は避けられない。だからこそ、最初から「移籍支援」「独立支援」を制度化している会社とそうでない会社は、エンジニアにとって全く違う意味を持つ。
SES会社が「反対しにくい」ケース
一方で、SES会社が反対しにくいケースも存在する。
- エンジニア本人が強く希望している場合 — 引き止めて離職されるくらいなら、移籍を認めて関係を維持するという判断
- 客先との長期関係構築が目的の場合 — 「今回は移籍を認める代わりに、次の候補者を優先的に送らせてほしい」という商談ができる
- エンジニアのスキルが陳腐化しており、次の案件を獲得しにくい状況 — 手放したほうが採算が合う
- 紹介手数料が発生する場合 — 客先から「直接雇用に切り替えたい」という申し出時に紹介料を徴収できるケース
逆に言えば、この4条件のどれも満たさない状態で「移籍させてください」と言っても、SES会社は首を縦に振りにくい。
客先企業が正社員登用する「条件」
次に、客先企業の視点を整理する。客先が「このエンジニアを直接雇いたい」と思うには、3つの軸がある。
軸1: スキルの希少性・即戦力性
最も強い動機は「このエンジニアを失うと困る」という危機感だ。
| 登用されやすいスキル | 登用されにくいスキル |
|---|
| 社内システム・業務ロジックを深く理解している | 汎用的なコーダー・テスター業務のみ |
| 特定業務の設計から実装まで一人で回せる | 複数人でチームを組んで初めて機能する |
| 引き継ぎコストが極めて高い(ドキュメントが少ない等) | マニュアル化・標準化が進んでいる業務 |
| 希少言語・レガシー技術の専門家 | 市場に同スキルの候補者が多い |
篠田の現場経験から言うと、「業務知識とシステム理解の両方を持っている人」が最も打診を受けやすい。技術スキル単体では代替が効いても、「このシステムの背景にある業務判断まで分かっている人」は客先にとって替えが効かない存在になる。
軸2: 人物面・現場フィット
スキルだけでは不十分だ。客先が「正社員として雇いたい」と思うのは、「この人と長期的に一緒に働きたい」という感情が伴っている。
- チームに溶け込んでいるか: 飲み会や非公式な場でも信頼されているか
- 問題が起きたとき自分で動くか: SES会社経由でなく、自分で解決しようとする姿勢があるか
- 客先の文化・言語を使っているか: 客先の社員と同じ言葉で話せているか
逆に言えば、「SES会社から来た外部の人」という距離感を保ったまま仕事をしていると、どれだけ技術が高くても正社員登用の打診は来にくい。
軸3: 採用コストと採用市場の状況
客先企業は「SES経由で使い続けるコスト」と「正社員として雇うコスト」を比較している。
| 項目 | SES継続 | 正社員登用 |
|---|
| 月次コスト | 月単価80万円(Heyday案件標準) | 給与+社会保険+採用紹介料 |
| リスク | 案件終了・入れ替えが可能 | 雇用継続義務・解雇コスト |
| 採用紹介料 | 発生しない | 年収の20〜35%程度(エージェント経由の場合) |
| 採用ハードル | ゼロ(既存の稼働) | 面接・審査・内定稿・入社手続き |
客先にとって正社員登用は「コスト削減」にはなりにくい。直接雇用では社会保険・賞与・退職金・有給等のコストが発生し、SES継続より割高になることも珍しくない。
客先が正社員登用に動くのは「コスト節約」ではなく「リスク管理(このエンジニアを確保しておきたい)」という動機が大半だ。
正社員登用が実現するケース vs 実現しないケース
篠田が2,400件の面談同席経験で観察してきた「分岐点」を整理する。
実現するケースの共通点
ケース1: 3年以上の長期稼働×業務知識の蓄積
同一客先で3年以上稼働し、その会社の基幹システムや業務フローを設計レベルで理解している状態。「この人がいないと次期システム刷新が回らない」という状況になると、客先側からオファーが来る。
ケース2: エンジニア本人のキャリア意向が明確
「ここで長く働きたい、できれば正社員になりたい」という意向を、現場の信頼できる社員に伝えている状態。意向を知られていない状態でオファーは来ない。「察してほしい」は通用しない。
ケース3: SES会社側に移籍支援制度がある
最初から「客先への移籍を支援する」と明言しているSES会社の場合、会社ぐるみで話が進みやすい。Heydayでは「稼働エンジニア本人の希望を最優先する」という方針を持っている。
ケース4: 客先が急成長中で内製化を進めている
SESを使っていたが、自社エンジニアを増やす方針に転換した客先企業。こういうタイミングでは、既存稼働中のSESエンジニアに「そのまま社員になってほしい」というオファーが来る。
実現しないケースの共通点
パターン1: SES会社が反対する
上述の通り、SES会社がビジネス上の理由から移籍を認めない。エンジニアと客先が合意しても、SES会社が「それはできない」と言えばご破算になる。
パターン2: 客先の採用枠・予算がない
「あなたに来てほしい気持ちはあるが、今年の採用予算がない」「ヘッドカウントが埋まっている」という状況。特に大手企業では、採用は部門単独では決められず、人事・経営層の承認が必要な場合が多い。意欲があっても、組織的な制約で実現しないケースが多い。
パターン3: 「なんとなく」の意思表示
「できれば正社員になりたいんですけど…」という曖昧な意思表示に、客先は動かない。正社員登用は客先にとってもコスト・手続きが発生する大きな意思決定だ。「強く希望している」と明確に伝え、「いつまでに返事が欲しい」という期限設定をしなければ、流れてしまう。
パターン4: スキルが客先の正社員基準に満たない
SESとして「使えるエンジニア」と「正社員として雇う基準のエンジニア」は評価軸が異なる場合がある。客先の正社員採用基準(資格・学歴・マネジメント経験等)をSES稼働中に満たしていないと、採用審査を通過できないケースがある。
正社員登用交渉の進め方
実際に「正社員になりたい」と動くにはどうすればいいか。篠田が支援した案件から、有効だったステップを整理する。
ステップ1: SES会社の方針を事前に確認する
最初にやるべきことは、自分が所属するSES会社が「客先への移籍を支援するか否か」を確認することだ。
聞き方の例:
「客先から正社員として雇いたいというオファーが来た場合、会社としてはどういう対応をしますか?」
この問いに「基本的に支援する」「エンジニア本人の希望を優先する」と答える会社は、実際に動いてくれる可能性が高い。「基本的にお断りする」「過去にそういう事例はない」という会社では、交渉が始まる前に壁がある。
ステップ2: 客先の「キーパーソン」との関係を作る
正社員登用の打診は、多くの場合、現場の直属上長や部門責任者から人事部門へ申請する形で動く。つまり、あなたに「この人を正社員にしたい」と言ってくれるキーパーソンが客先にいるかどうかが鍵になる。
技術的な実績だけでなく、「一緒に飲みに行ける関係」「困ったときに相談される関係」を作っておくことが、実務上の重要な準備だ。
ステップ3: 意向を明確に伝えるタイミングを選ぶ
一般的に有効なタイミングは3つある。
| タイミング | 具体的な状況 | 有効な理由 |
|---|
| 契約更新の交渉時 | 「次回更新の条件について話したい」という場が設けられたとき | 公式な交渉の場として使いやすい |
| プロジェクトの区切り | 大きなリリース・フェーズ完了後 | 貢献が可視化された直後で交渉力が高い |
| 1on1・面談の機会 | 定期的な振り返り面談 | 意向を伝える自然な場として使える |
逆に有効でないタイミングは、プロジェクトが炎上中、期末で予算が見えていない時期、直属上長が変わったばかりのタイミングだ。
ステップ4: 伝え方の骨格
曖昧な「できれば…」ではなく、以下の要素を含めて話す。
- なぜこの会社で働きたいか(理由): 「この事業が好き」「このチームで長く貢献したい」
- 何を提供できるか(提案): 「今後Xプロジェクトで◯の役割を担える」
- 期限の明確化: 「◯月中に方向性を教えてほしい」
あいまいにしていると、「前向きに検討します」という返答のまま半年が経過するケースが多い。期限を設定することで、客先側も動かざるを得なくなる。
ステップ5: SES会社の営業を通じた三者協議
エンジニアと客先が合意に近づいたら、SES会社の営業担当を加えた三者での話し合いが必要になる。ここで問題になるのが、移籍に伴う「紹介手数料」だ。
客先からSES会社に支払われる紹介手数料は、理論上エンジニアの年収の20〜35%程度になることが多い。これを客先が負担できない・したくないという場合、交渉が止まることがある。
解決策の一つは「時間差移籍」だ。 「今すぐ移籍するのではなく、◯月末の契約終了をもって正式に移籍する」という形を取ることで、紹介手数料の問題を回避するか、軽減できる場合がある(SES会社の合意が必要)。
正社員登用 vs SES継続 vs 転職の比較
「客先への正社員登用」が唯一の選択肢ではない。状況によっては別の道を選んだほうが、キャリアにとってプラスになることもある。
| 選択肢 | メリット | デメリット | 向いているケース |
|---|
| 客先に正社員登用 | 現場・人間関係の継続、業務知識の蓄積が活きる、転職活動コストがない | 年収が下がる可能性、客先の採用基準に縛られる、SES会社の反対リスク | 今の客先・仕事・チームが本当に好きな場合 |
| SES継続(案件変更) | 現場を変えて新しい経験を積める、単価交渉の余地がある | 同じ課題(客先への帰属感の薄さ)が続く | スキルをまだ広げたいフェーズ、単価を上げられる余地がある場合 |
| 自社開発企業へ転職 | プロダクト開発の全工程に関われる、ブランドがつく | 転職活動コスト、大手は採用ハードルが高い | 特定の技術・プロダクトを深掘りしたい、現場問わず自社開発経験が欲しい場合 |
| フリーランス転向 | 単価が大幅に上がる可能性(正社員比1.5〜2倍)、税務メリット | 社会保険・雇用保険がない、案件安定性が自分次第 | 経験5年以上、特定技術に強み、リスク許容度が高い場合 |
小川代表コメント:
「客先で正社員になりたい」という希望自体はまったく自然なものだ。でも、その希望を持ったまま何年も待っているエンジニアは多い。現実的には「SES継続で単価を上げる」か「別の会社に転職する」という選択肢のほうが、希望より早く・確実に状況を改善できる場合が多い。正社員登用は「受動的に待つもの」ではなく、「能動的に動いて勝ち取るもの」だという認識を持ってほしい。
法的に知っておくべきこと
SES(準委任契約)と労働者派遣は法律上異なるが、直接雇用に関するルールは理解しておくべきだ。
労働者派遣法における直接雇用申し込み義務
同一の派遣先で3年を超えて働く場合、派遣先事業者は派遣労働者に対して「直接雇用の申し込み義務」を負う(労働者派遣法第40条の6)。
ただし、この規定が適用されるのは「労働者派遣法に基づく派遣契約」であり、純粋なSES(準委任契約)には直接は適用されない。SESと派遣の境界は実態によって判断されるため、「指揮命令を受けている状態」が認められれば偽装請負として問題になり、労働者派遣法が適用される可能性がある。
SES契約と偽装請負
SESは本来「成果物や業務遂行の方法に対して対価を払う」準委任契約だが、実態として客先の社員から直接指示を受けている場合は「偽装請負」に当たる可能性がある。
偽装請負が認定されると、客先企業に対して直接雇用申し込み義務が生じる。ただし、この問題はエンジニア個人が持ち出すより、行政機関(都道府県労働局)や弁護士に相談するのが現実的だ。
引き抜き禁止条項
SES契約書には「エンジニアを客先が直接雇用することを禁止する」という条項が含まれている場合がある。これを「引き抜き禁止条項」と呼ぶ。
この条項の有効性については議論があるが、契約書に明記されている場合、SES会社が法的手段を取る可能性はゼロではない。動く前に契約書を確認し、必要であれば法律の専門家に相談することを強くすすめる。
今いるSES会社の「移籍スタンス」を見極める
最終的に、正社員登用の実現可能性は「あなたが所属するSES会社の方針」に大きく左右される。
移籍支援に前向きなSES会社かどうかを確認するチェックリスト:
- 「客先移籍・独立支援」が公式ページ・採用ページに記載されているか
- 過去に客先へ移籍した実績を会社が公開しているか
- 「エンジニアのキャリア優先」を明言している会社か
- 契約書に「引き抜き禁止条項」が明記されているか(あっても不当とは言えないが、交渉難度は上がる)
Heydayでは、「エンジニア本人の希望を最優先にする」という方針のもと、客先への移籍を希望するエンジニアの相談を受け付けている。移籍を強制的に引き止めることはしない。ただし「移籍前に市場単価を知る」ことを強くすすめている——正社員登用の条件が市場水準より低い場合、転職という別の選択肢のほうがキャリアにとって有利なことがあるからだ。
よくある質問
Q. SES客先への正社員登用を打診された。どう対応すればいいか?
まず、打診を受けた段階でSES会社の担当営業に相談することを強くすすめる。独断で「はい」と言うと、SES会社との契約上の問題が生じる可能性がある。
次に、「正社員として提示される年収条件」を確認する。多くの場合、SESとして稼働しているときの月単価換算額より、正社員の年収は低くなる。これが許容できるかどうかが判断のポイントだ。
また、その客先で「どんなキャリアが積めるか」を具体的に確認する。現在の業務の延長線上しかないのか、新しいことに挑戦できる環境があるのかで、判断は変わる。
Q. SES会社が移籍に反対している。どうすればいいか?
まず、SES会社が反対する理由を具体的に確認する。「ビジネス上の理由(売上への影響)」なのか、「あなた個人のためを思ってのこと(年収下がる・キャリアが狭まる等)」なのかで、対応が変わる。
ビジネス上の理由で反対している場合、「◯月で契約終了・その後に移籍」という時間差移籍の交渉が有効な場合がある。
どうしても話が進まない場合、転職という別の選択肢も視野に入れる。「この客先にどうしても正社員として残りたい」という強い意向があるなら、労働局への相談という手段もある。
Q. 客先での稼働期間はどのくらいが「登用のラインに乗る」か?
篠田の経験では、最低1.5〜2年の稼働が一般的なラインだ。1年未満では業務知識の蓄積が浅く、「この人がいないと困る」というレベルに達しにくい。
2〜3年以上稼働していて、かつ業務の中核を担っている場合に打診が来る確率が最も高い。3年を超えると、客先側にも「このままSESを継続するリスク(いつ引き上げられるかわからない)」を感じ始め、正社員化の動機が高まる。
Q. 正社員登用後の年収は上がる?下がる?
Heydayの把握しているケースでは、客先への正社員登用後に年収が上がったケースは少数派だ。
SES稼働中の月単価を年収換算(月単価×12)すると、正社員の提示額より高くなることが多い。なぜなら、客先の社内給与テーブルは「SESに払っている単価」より低い水準に設定されているからだ。
ただし、賞与・退職金・社宅・研修費用等の福利厚生を加味すると、総報酬として許容できる水準になるケースもある。「額面年収だけで判断しない」ことが重要だ。
Q. SESから正社員登用ではなく、転職で別の会社の正社員になる場合と何が違う?
最大の違いは採用コスト・紹介料の発生有無だ。転職エージェント経由で別の会社に転職する場合、採用企業は年収の20〜35%程度の紹介手数料を支払う。客先への直接移籍では、SES会社に同程度の紹介料を払うケース、あるいは双方が費用負担なしで移籍できるケースがある。
キャリアの観点では、「今の業務知識が活きる」点では正社員登用が有利だが、「新しい環境・技術に触れる」点では転職が有利だ。どちらを優先するかで判断が変わる。
Q. 「引き抜き禁止条項」が契約書にある。移籍は無理か?
契約書に明記されている場合でも、絶対に不可能というわけではない。実際に「条項があったが交渉で認められた」ケースも存在する。
ただし、無断で進めると法的トラブルになる可能性がある。まずSES会社と「この条項の運用について」を話し合う。SES会社が交渉に応じない場合、弁護士への相談が現実的だ。
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